聞こえた悪口が当たっていた場合の善悪とは

「訳のわからないことで悩んでいるうちに老いぼれてしまうから」
と、森進一が襟裳岬で歌っているように、訳のわからないことは、訳のわからないままにしておきたいのだが、人間というのは訳のわからない事を嫌う質の悪いところがあって、全て投げ出して訳のわからないことをしたい、と思っていても、いざ訳のわからないことをしているうちに、その答えがやがて見えてくる、もしくは答えが予測できるので、やはり訳のわからないことはあまり好ましくない、と常々感じながら生きている訳のわからない生物でもある。

ここ最近、僕自身に訳のわからない事が立て続けに起きていて、それは転職したり、引っ越したりしたからというのもあるが、一番は人間関係で訳のわからないことが起こっている。

これまで人間関係において、あまり干渉したくない僕は、なるべく集まりには加わらず、過度なコミュニケーションをとることもなく、かと言ってニヒルを気取ってるわけでもない、要するにそこらにいるような、中庸的人間であって、正直そいつが居ても居なくても何とかなる、そんな人間の一人だと、謎の自負があった。

しかし、ここ2週間。新しい職場で、アレコレと段取りしていると、自ずと職場の人間関係が見えてきたりする。
「あぁ、あの人はあの人とああいう感じかぁ」とか「えぇ、実はこの人あの人嫌いなんやぁ」とか、まぁどこの職場でもよくある、ウンザリする光景がやはりというかまたかというか、この職場にもあった。
へいへい、そうでっか。と、やりくりちちくりマンボしながら、日々の業務を学びながら、真面目にしていたのだが、つい先日、耳を疑い、もう一度耳を疑ったことがあった。

僕が業務中だったのだが、少し離れた場所で、先輩社員(どちらも男)が2人きりで、何やら話し込んでいるのが分かった。
僕は直属の別の上司に業務についてのアレコレを色々と話し込みながら、セコセコと働いていたわけである。
僕は右耳の聴力が少し弱いのだが、そのせいか、左の耳だけはやたらとよく聞こえる変な体質があって、左側に居た上司2人の話している内容は、ボソボソとであるが、聴こえてくるものである。
ただ、僕は直属の上司の人と業務内容についてのやり取りをしていたので、向こうの先輩社員から見れば、働いているしこの距離で聞こえるわけがない、と思っていたのだろう。
そして、聞こえた内容は


A先輩「つかさ、どうよあの子(僕のこと)」
B先輩「あー、まぁ真面目かな」
A先輩「使い物になるのー?」
B先輩「ビミョー!てか、マジで根暗!」
A先輩「あーね、そんな感じだね」
A・B先輩「ケラケラケラケラw」


直属の上司の人の話も頭に入らず、自分の悪口に聞き入ってしまったのである。
ここで、何が言いたいかと言うと、クソが!とか、お前ら死ね!とか、こんな会社嫌だ!とかではなく、聞こえた悪口が当たっている場合は善か悪か、ということである。

まず初めに、真面目で根暗で使い物にはならないのは、全面的に認める。すごく賛成する。
しかし、本来悪口というのは、気分が悪いものである。悪口を聞いて喜ぶようなマゾヒスティックな思考の持ち主はあまりいない。
ただ、今回に関しては全ての悪口が当たっているので、これは悪口になるのだろうか。
僕個人は、これを聞いた瞬間、ちょっとたじろいだ後、暫く考えて「当たってるやんけ!」と自問自答が2秒で済まされたわけで、先輩社員2人は全て事実を事実のまま話合っていただけである。
これが僕の合理化であるなら、僕は全て合理化によって生きていると思われるだろうが、そうでもない。コンプレックスも当然あるし、精神的にも強いとは言えない。
でも、今回の悪口に関しては当たっている、としか言えず、この当たっている悪口を踏まえると、聞こえずして聞こえた当たっている悪口は、もしかすると最も善に近い行為なのかもしれない、と思ったのである。
つまるところ、本音。歯に衣着せぬ事実上の事実をありのままに打ち明ける、最高の機会になるのではないか。



と、2日前に考えていたが、今日改めて先輩社員の人と喋ると別段悪い気は全くしないし、向こうもコチラに対して親身になってくれている。


あの悪口は結局善なのか悪なのか。
一つの真理が見えそうだったが、疲れたので、考えるのをやめた。
訳のわからないことで悩んでいるうちに訳のわからないことが訳のわからないことになっていくような。

なぜだろう。暑い日が待ち遠しい。